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【場面緘黙症】改善へのヒントを元場面緘黙児の私が考えてみた

孤独なネコ

娘の通う小学校に、授業中教師に指名された時以外、誰とも話さないという女の子がいるそうです。

クラス写真を見せてもらうと、目のクリッとしたとても可愛らしい女の子。

みんなに合わせてピースをしているけれど、全体的に不安げな様子が漂っています。

なんだか昔の自分を見ているようだな…と思った私。

「どんなことでも良いから、声かけてあげなよ。何も返してこなくても、声をかけてもらえたってだけで嬉しいんだよ」

何とかしてあげたい一心で娘にそう言ったのですが、娘自身が控えめで自分から積極的に他人と関わるということが出来ないタイプなので、返ってきた言葉はこんな感じ。

「だって何も喋ることないもん」

「じゃあ手紙書いてあげなよ」

食い下がる私。

「だってお手紙交換は学校でやっちゃダメっていう決まりなんだもん」

「そんなの隠れて渡せばいいだけじゃん?」

「え~。やだ…」

我が家の娘は曲がったことや、言いつけられたこと以外のことをすることに異常なほどの拒絶反応を示す傾向があります。

決まりとかルールに縛られて、柔軟な行動を取れなくなってしまうのは寂しいな…と思いつつ、私自身が同じ感じなのでそれ以上強くは言えませんでした。

場面緘黙症の子供

宇宙

場面緘黙症とは、家では普通に会話が出来るのに、幼稚園や学校といった特定の場面や状況になるとまったく話せなくなってしまう現象のことです。

単に恥ずかしがり屋や人見知りというのではなく、症状はずっと強く長期的に続いていく傾向があります。

適切な対応をしていかないと、二次的な問題(うつ、対人恐怖症など)を引き起こしかねません。

私は幼稚園から中学1年まで場面緘黙の状態にありました。

中学2年で親友とのコミュニケーションに不具合を来たし、お互いにぎくしゃくした関係になったことがきっかけで、長年続いた場面緘黙を克服することが出来ました。

今思い返してみても、自分は単純に運が良かっただけという気持ちが強いです。

当時、クラスメートたちと自然な会話が出来るようになってからも、頭の片隅には常にこのような思いがありました。

「下手したら自分はまだ話せていなかったかもしれない。良かった良かった。今話せるようになって本当に良かった」

どこの誰だか分からない抽象的な神様に、私は幼い頃からずっとお願いしていました。

「どうかみんなと喋れますように」

「朝起きたら話せるようになっていますように」

その願いが叶うのにはだいぶ時間がかかりましたが、当時はただただ、

「神様ありがとう」

という気持ちだけでいっぱいでした。

しかし大人になった現在、私は知っています。

暗く閉ざされた扉を開けたのは私自身の努力と勇気だけであって、誰かが外側から扉を開けてくれることなんてあり得ないのです。

場面緘黙症というものが広く認知されていなかった当時、私は常々思っていました。

「私はなんて弱い人間なんだ」

「なんでみんなが当たり前にやっていることが出来ないんだ」

しかし思考はその先には進めないんですね。

不安や恐怖心が根底にあるので、最終的には他力本願で神頼みするくらいしか方法がないんです。

本人が「喋れないのは自分の弱さのせい」と思っているくらいですから、周りだって時間が経てば解決するかもしれないと考えるでしょうし、単に人見知りが激しいだけという認識で終わってしまうことがほとんどだったんじゃないかと思います。

しかし、今は時代が違います。

医療機関で場面緘黙の治療を行えるようになってきたし、行政の子育て支援で相談をすることも出来ます。

もはや、暗く閉ざされた扉を開けることを本人の努力、勇気だけに委ねる時代ではありません。

私たち大人は、本人に代わって扉を開けてやることは出来ないけれど、たとえ外側からであっても開けるためのヒントを与えてやることは出来ると思うんです。

喋れなかった私が唯一喋れた女の子

小学校低学年の時、私には1人だけ喋れるクラスメートがいました。

Cちゃんは頭が良く運動も出来る優等生。

みんなからも一目置かれていました。

どんなきっかけがあったのか分かりませんが、あるとき日曜日に一緒に遊ぼうという話になりました。

Cちゃんの家は私の家から1㎞ほどの距離にあります。

子供ながらにちょっと遠いな…と思っていたのですが、人気者のCちゃんからのお誘いなので不安半分期待半分でお宅にお邪魔しました。

最初のうちは小学校の時と同じく、私はCちゃんの話に頷いたり首を傾げたりするだけ。

居心地の悪さを感じ、早くこの緊張状態から解放されたい。もう帰りたいとそんなことばかり思っていました。

しばらく経つと、Cちゃんがお菓子の箱でレジスターを作ってお店屋さんごっこをやろう、と言い出しました。

工作は得意中の得意なので、私は頷きました。

Cちゃんはきれいに整頓された自分の机から、はさみやのり、テープ、カッター、カラフルなマジックペン、クーピーなどを持ってきて私の前に並べました。

当時の我が家にはセロハンテープもカッターもなかったし、種類の豊富なマジックペンなんてどんなに望んでも手に入らないものだったので、私は胸がときめきました。

私は工作が何よりも好き。

手を動かして何かを作っているときはとてもリラックス出来て、ものすごく集中力が増します。

けれど、Cちゃんは工作や絵を描くことが苦手。

お店屋さんごっこでお金のやり取りをしたり、計算したりすることが好きなので、レジスター作りがメインではなく、その先のごっこ遊びを早くやりたくて仕方がないんですね。

レジスターは1つでいいはずなんですが、なぜかそれぞれ1つずつ作ることになり、私は興奮状態でアイディアが出てくるわ出てくるわ。

ササッと立体的なレジスターを作る私を見て、Cちゃんは自分にも同じものを作って欲しいと言ってきました。

頼まれたら断れないタイプなので、私は自分の手を休めてCちゃんのレジスター作りを優先しました。

すると、出来上がったレジスターを見てCちゃん大満足。

紙のお金や硬貨を画用紙で沢山作って、さっそくレジスターのいくつにも仕切られたスペースに収納し始めました。

私も急いでレジスターを完成させ、Cちゃんの待ちに待ったお店屋さんごっこが始まりました。

最初は本物のお菓子や鉛筆を並べてやっていたのですが、種類が少ないということで、急遽私が画用紙で手作りすることに。

私が描いたお菓子の絵にCちゃんがマジックで色を塗る。

Cちゃんがこういうものを描いて欲しいという要望を出し、私がそれを描いている間、Cちゃんはひたすら切り抜き作業…。

気が付いたら、私はCちゃんと普通に話していました。

そして、Cちゃんも私が喋っていることを当たり前に受け入れており、そこには普段喋らない人間が喋っている!という驚きや疑問の類いは存在していませんでした。

とても充実した時間であり、楽しいひとときだったので、こうして今も鮮明に覚えているんですね。

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場面緘黙症の改善に必要なものって何?

当時を振り返ってみて思うことは、人間誰しもリラックス出来る時間は絶対に必要だということ。

学校では喋れないことでストレスをため、家では親が「今日は喋れた?」とプレッシャーをかけてくる。

そんな状況では、子供は気持ちの休まるヒマがなくなってしまいます。

せめて家の中では、大きな声で笑ったり怒ったり出来る環境を整えてあげるべきなんじゃないかな、と思います。

私がCちゃんと自然に会話が出来たのは、リラックスしていたからだと思うんです。

大好きな工作が出来て、上手だと感心され、同じものを作って欲しいと頼られる

誰かに必要とされているというのは、とても気持ちのいいことです。

自信が湧いてくるし、認められたという感覚はやがて勇気にもつながっていくんじゃないか、と私は思っています。

場面緘黙児との関わり方

病院に通ってカウンセリングを受けたり、行動療法を受けるというのはとても有効な手段だと思いますが、子供によっては負担になってしまうこともなきにしもあらずです。

田舎町だと、適切な治療の出来る医療機関を見つけることすら一苦労ですし、だからといって車で何時間もかけて専門的に診てくれる病院に週1で通院、なんてことをしていたら、子供も親も疲弊してしまうことでしょう。

医療に頼らなくても、してあげられることはいくらでもあります。

たとえば授業中。

場面緘黙児は指名しても発言をしないから指さない。

果たしてこれでいいのでしょうか?

発言出来ないのは分かっていても、やっぱり指名はするべきなんじゃないかと私は思います。

大切なのは、本人に「クラスメートの一員として認められている」という自覚を持たせること。

私は授業中だけは発言出来ていましたが、それすら出来ない状況で、1年間一度も先生から指されなかったとしたら、酷く心が傷付いただろうと思います。

先生によっては、発言出来ないことで可哀想な思いをさせるのは忍びない、という考えをお持ちの方もいるかもしれませんが、忘れてはいけないことは、当人はコミュニケーションを拒絶しているのではないということ。

取りたくても取れないだけなのです。

「次は教科書読めるように頑張ろうね」

と優しい言葉をかけてあげれば、当人の心にも響くはずです。

「ああ…。先生は私のこともちゃんと気にかけてくれてるんだな」

というように。

それから、先ほどの私とCちゃんの関係のように、当人が得意としているものや興味関心のあるものを引き出してあげるというのは、有効な手段なんじゃないかと思います。

ただでさえ劣等感の塊で、臆病心に捕らわれ、毎日不安や絶望と戦っているのです。

得意分野でクラスメートの注目を集め、一目置かれるようになれば、それは本人の自信につながっていきます。

誰かに頼りにされる、誰かに尊敬されるという経験は、場面緘黙児でなくても嬉しいものですからね。

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まとめ

長々と書いてしまったのでまとめてみたいと思います。

【場面緘黙症改善へのヒント】

  • 得意分野で自信を付けさせる
  • 得意分野でクラスメートから一目置かれるような雰囲気を作っていく
  • 授業中の発言が見込めずとも、先生に気にかけてもらっているという自覚を持たせる

場面緘黙症から脱して私が感じたことは、本人が思っているほど周りは喋るようになったことを特別なこととは捉えていないということ。

中にはからかったり、ちょっかいを出してくる人間もいましたが、本当に一瞬のことでした。

むしろ、この人私と喋れることを楽しんでいるみたいと思う瞬間が何度もあって、自分が口を閉ざし続けた8年間っていったい何だったんだろう…と過ぎ去った時間を虚しく思ったりもしました。

時間はどんなに願っても巻き戻ることはありません。

小さな体で不安と戦っている子供のために大人がしてやれることは、早期に場面緘黙症を克服する道筋を作ってあげることだと思うのです。

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