長女を出産したのはもう八年以上も前の出来事。
やっぱり一番最初の子供って何もかもが初めてだし、思い入れも強い分、妊娠が分かったときのこととか、妊娠期間中のこと、出産の時のことなど案外鮮明に覚えているものです。
もう何年も経っているのにね…(^^;
メンタルの弱い妊婦
私たち夫婦は二十代半ばに結婚したんですが、すぐにでもほしいと思っていた子宝に恵まれたのは、結婚後二年目のこと。
長女に出会うまでの道のりはとても長かったです。
色々頑張りましたよ。
夫婦でマカ飲んだり、高麗人参茶飲んだり、漢方試したり。
それでも毎回当たり前のように生理がやって来るんですよね。
さすがに精神が参りました。
半分うつっぽくなって、元々人見知りが激しいところに対人恐怖症みたいな症状も現れはじめて、なんか、見えない敵と毎日戦っていたような気がします。
そんな私のストレス解消法はひたすら読書!
ミステリー小説が好きだったので、一日の大半現実逃避してました(汗)。
そしてやっとこさ授かった長女。
私たち夫婦を不憫に思って舞い降りてきてくれたのかな…
とっても慈愛に満ちた魂の持ち主なのかもしれない…
とメルヘン脳な私は思っちゃった訳ですが、成長した長女を見ていると、あながちそれも間違ってはいないようです。
親の私が言うのもなんですが、今のところ、とてもよく気のきく優しい子に育っています(親バカですね)。
ところで、妊娠期間中私の心の中を占めていたのは、
恐怖
がほとんどでした。
早く赤ちゃんがほしい❗
と思ってはいたんですが、いざ妊娠してみると、ビビリ症の私は毎日どうしようもないくらいの不安にとらわれていました。
出産はこの世のものとは思えない痛みだ、ということを周りの出産経験者は他人事のようにケロッと言ってのけるし、テレビの再現VTRなどでよく絶叫している出産シーンが出てきたりしますよね。
想像しただけでも怖くて、逃げ出したくて仕方がありませんでした。
とにかく痛みに弱いんです。
だから出産は絶対無痛分娩にすると心に決めていました。
でも周りはやんわりと反対。
母親:「昔は無痛分娩なんてなかった。痛いのは当たり前。みんな経験している。そんな弱気でどうするの」
一つ前の世代の常套句ですね。
私:「絶対そう言うと思ったよ。でも私は誰が何と言おうと痛いのは嫌だからね。無痛で挑むよ」
そして旦那:「お金大丈夫なの?ちょっと高いんじゃない?」
私:「う゛う゛…。それを言ってくれるな(困)」
そうなんですよね。
無痛分娩ってちょっとお値段が高い。
私が通っていた産院は出産育児一時金を支払っても自分たちの財布から足りない分を払わなければならないくらい、ちょっと設定額が高かったんです。
それプラス無痛分娩代となると、かなりイタイ出費。
だけど、経験者曰く『出産はこの世のものとは思えない痛み』ですよ。
他のみんなは耐えられても、私は耐えられない!
そんなわけで妊娠初期からずっとブルーになっていました。
周りが暖かく無痛分娩で挑むことを応援してくれればよかったんですが、やんわりと「やめとけば?」ですからね。
結局妊娠後期になっても、担当医に無痛分娩希望であることを言い出せずにいました。
うわさで、その担当医が無痛分娩に前向きじゃない、一度は考え直せと言われるということを聞いていたので、臆病者の私は一人で思い詰め、一言も無痛分娩の話をしないまま出産の日を迎えたのです。
無痛分娩にしていたら良かったという出来事
私の出産は、前期破水から始まりました。
昼食の後片付けをしているときのことでした。
産院に連絡したら、すぐ来院するようにとのこと。
陣痛が来る前に破水してしまったので、胎児に感染症の危険が出てくるんですね。
だからそのまま入院となりました。
夫も職場からすぐに産院に駆けつけてくれました。
母親もあとから合流。
日付変更前に陣痛が来なかったら陣痛促進剤を投与すると看護師さんに言われ、私はその言葉にビクッとしました。
ああそうだ…。無痛分娩のこと結局担当医に言えずじまいだった。
あと一回、最後の妊婦検診があったので、そのときに思い切って無痛分娩の希望を言おうと思っていました。
けれどその前に前期破水してしまい、私の希望は病院関係者に伝わることなく、陣痛促進剤という言葉を耳にして絶望に駆られるも時すでに遅し。
確か、陣痛促進剤も痛いんじゃ…。
陣痛を人工的に起こさせる薬剤ですもの、痛いに決まっていますよね。
メンタル弱すぎる妊婦の私、呑気な夫や母親に囲まれ、一人蒼白になっていました。
結局陣痛促進剤の話をされてそんなに時間のかからないうちに、陣痛がやってきました。
最初はお腹を壊した程度だった痛みが、あっという間に信じられんような痛みに変わり、あまりの激痛に叫ぶことしか出来ない私。
お腹が灼熱の炎でドロドロに溶かされているような気分でした。
夫は献身的に声を掛けてくれ、ずっと腰をさすっていてくれましたが、私はひたすら、
「今から無痛にしてくれるように、看護師に言って!」
とパニック状態。
けれど、「今からは無理」と看護師さんにはやんわりと断られました。
私のあまりの絶叫ぶりに、まだ新米っぽい看護師さんは怖じ気づき、点滴針をうまく刺せずに腕からはものすごい流血が始まりました。
私は痛みでイライラ、夫は血を見て蒼白。
そんな中、この看護師さん、またやらかしたのです。
子宮口が何㎝になっているかを確認し、全開に近くなると分娩室に歩いて向かうのですが、まだちゃんと開いていないのに、
「これから分娩室に向かいますね」
と痛みで悶えている私を立ち上がらせ、分娩台に乗せました。
あとからやってきたちょっとベテランぽい看護師さん。
もう一度子宮口を確認するとまだ全開ではなかったらしく、
「ごめんなさいね、もう一度戻ってください」
と鬼のような発言。
う、うそだ…。そんなのうそだ!
泣きそうになるのを堪え、私はもう一度陣痛室に戻されました。
まさしく地獄の針山を歩かされている気分でした。
それから数時間、永遠とも思えるような時間を痛みに耐え、ようやく(再び)分娩台に乗りました。
すぐに担当医がやってきて、結局赤ちゃんはものの十分くらいで生まれました。
だけど…。
生み終えたのに痛みが引かないんですよね。
テレビの出産シーンの妊婦は、生んだらすごくリラックスした顔でニコニコしてたよな…。
あれはフィクションなのかしら?
フィクションにもリアリティーは大切よ。絶対に。
と冷静に考えている余裕、もちろんありませんでした。
だって、激しく痛いんです。
そのうち担当医がソワソワ落ち着きなくなって、大きな病院に電話しろとか、血圧がどうとか、慌ただしくなってきました。
やがて看護師たちは泣き出し、私は半分怒りながら、
「この痛み、どうにかして!」
と叫びまくり。
気が付いたら救急車で総合病院に運ばれていて、生んだはずの娘のお顔をゆっくり見ている暇なぞありませんでした。
緊急手術で私はどうにか一命を取り留めたのですが、一歩間違っていたら死んでいたそうです。
原因は、胎盤処理がうまく行かずに(結果として)無理矢理引き剥がすような形になってしまい、大量出血してしまったということだそうです。
病室で意識を取り戻した私に、夫や母親は言いましたよ。
「最初から無痛分娩にしとけばよかったね」
と。
この時の得意げな私の顔、目に浮かぶでしょ?
出産の不安と恐怖はどうすればいいのか
この記事を読んでいる皆さんは、おそらく今、出産の不安をどうにかしたいと思っているのでしょう?
世の中のお母さん、みんなが通っている道だからと開き直るのもいいかもしれません。
でも、痛みへの耐性って人それぞれですからね。
痛みに強い人もいれば弱い人もいる。
そしてどういうわけか、日本は痛みに弱い妊婦にシビアなところがあります。
無痛分娩をしたと言えば、
「楽して出産したんだ。いいねえ」
そんなセリフを平気で吐く人間もいたりします。
まあ口に出さずとも心の中で思っていたりね…。
でも、無痛分娩って別にラクしたいからやるわけじゃないですよね。
痛み=恐怖
で、その恐怖のために妊娠ライフもろくに楽しめず、毎日毎日出産の日のことを考えてブルーになっている妊婦ってちょっと悲しすぎますよね。
それなら思い切って無痛分娩を選択して、お腹でスクスクと育っている赤ちゃんを心穏やかに愛おしめるほうが、赤ちゃんのためにも妊婦の心の健康のためにもいいんじゃないかと思います。
じゃあ、無痛分娩をやっていない産院で出産する場合、出産への恐怖はどう克服すればいいのか?
これはひたすらポジティブに考えるしかありません。
中には4日も陣痛に耐えたという妊婦さんもいるようですが、一週間も二週間も我慢しなければならない痛みではありません。
私の場合は陣痛も分娩後の余計な痛みも激しかったですが、それだってたった1日の出来事。
1日痛みに耐えれば、そのあとは待ちに待った赤ちゃんとのご対面です。
赤ちゃんが自分を選んでくれた。
自分しかこの赤ちゃんを産める人間はいないんだ。
そう覚悟を決めてしまうのが一番なのかもしれません。
きっと生まれてくる赤ちゃんだって、それなりに痛みを伴って出てくるはずですからね。
一緒に頑張るんだという気持ちで挑めば、きっと少しは前向きになれるんじゃないでしょうか?
2018年6月18日追記:
友人と出産の話になったときに聞いたお話。無痛分娩を選択したのだけれど、結局いきむタイミングが分からず、バルーンを装着されたり医師にお腹を押されたりして、激痛を味わったそうです。こんなことなら無痛分娩なんて選ぶんじゃなかったと思ったそうです。「無痛=痛みのない出産」だと思っていたので、この話を聞いたときはゾッとしましたね(-_-;)
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