はじめまして。チョームと申します。
名前の由来はいたって簡単。
『超無口』。
ただの無口じゃないんです。
超が付く無口です。
だからチョームクチ、チョームク、チョーム…とこんな名前に落ち着いたわけです。
口下手の原因
自分が無口なのはどうしてなのだろう?
問い質すまでもなく分かっています。
口下手な上に、人見知りが激しいんです。
口下手だから人見知りになってしまったのか、それとも人見知りが原因で口下手になってしまったのか?
どちらが先なんだろうと今回この記事を書くにあたって、幼少期に記憶を遡らせてみたのですが、自分ではよく分かりません(笑)。
とにかく幼少期は同年代との接触が少なかったと思います。
両親共働きで、日中は祖母と兄弟達と過ごしていましたし、遊び友達は隣近所に二、三人いるだけでした。
そんな環境で、予備知識もなく突然幼稚園の入園式に連れて行かれました。
あのときの衝撃と心臓がキューッと縮んでしまうような不安感は、今でも忘れることが出来ません。
今まで見たこともない大勢の、自分と同年代の子供達が狭い室内に整然と並んでいるんです。
私はパニックで母親の太ももにしがみつきました。
母親は困惑して、必死に私を子供達の集団に連れて行こうとしました。
しかし、私は踏ん張りました。
怖くて怖くてどうしようもなかったんです。
結局入園式はそんな感じで終わってしまいました。
そしてこの日から私の無口生活がスタートしたというわけです(笑)。
無口の驚くべき底力
幼稚園時代だけでなく、小学校時代も、私は授業中以外は言葉を発しませんでした。
授業中だけ喋るのは、教科書を音読しなさいと教師が言っているのに、それに従わなかったら怒られる、という恐怖心があったためです。
こういう症状(症状って言うのかな?)を場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)と言うらしいです。
不安障害の一つで、幼少期に多いんだそうです。
不安障害…。
障害だったのかって思うと、何だか少しだけ気持ちが楽になれます。
だって、クラスメートや担任教師に、
「何でしゃべんないの?」
って言われるたんびに、自分でもどうして喋らないのか分からなくて困っていたんですから。
(困っていたと言うより、このセリフを誰かに言われるのを常に恐れていたような気がします)
障害だったと知れば、喋らないことを責められ、それでも一言も言葉を発することが出来なかった当時の自分を、なぐさめてあげることが出来るような気がします。
「そういう障害だったんだから仕方ないじゃない」
と…。
結局、私は幼稚園と小学校の六年間、ろくに喋らずに過ごしました。
それでいじめられたこともあるし、白い目で見られたこともあります。
今に思えば、いじめられることよりも、白い目で見られることの方がとても辛く、何度も自分をやめたいと思いました。
いじめる子(ほとんど男子でした)は、まだ私に関心を持っているから、面と向かって攻撃をしかけてきますが、白い目で(軽蔑の目ですね)見ている子というのは、クラスの異物でしかない私を排除したくて仕方がないのです。
顔にはっきり、
「お前なんか大嫌い」
と書いてあるのが分かるんですよね…。
こんなの、本当の私じゃないのに。
頭の中でそんなセリフが飛びかっていましたが、もちろん言葉にすることは出来ませんでした。
寂しくて悔しくて、
「ちっくしょー、何か言ってやりたい!」
「ここで何年も口を閉ざしてきた私が喋り出したら、みんなビックリするだろうな。ようし!びっくりさせてやらあ」
と爆発寸前まで行くのですが、(喋れないくせにプライドは富士山よりも高いんです)
ギリギリで臆病風に吹かれてしまい、いつもの弱くて小さくて、声をなくした哀れな女の子に戻ってしまうんです。
しかし、こんな生きかたを八年も続けてきたなんて、自分でも呆れてしまいます。
長きにわたって飲み込まれ続けた私の言葉たちはいったいどこに行ったんでしょうね…。
ちゃんと喋っていたら、もしかしたらものすごーくフィーリングの合う子が見付かって、その子と親友になれていたかもしれないのに…
と過ぎた時間を後悔してしまうのですが、ここまで喋らずに過ごした自分は、ある意味根性あるのかもしれません。
(単に臆病なだけですね)
場面緘黙症とは
場面緘黙についてちょっとまとめてみたいと思います。
私はこの言葉を、偶然見ていたNHKの番組で知りました。
「あれ、これって私のことじゃん!」
ずっとこんな弱い性格を引きずって、ろくにコミュニケーションも取れずに生きていくんだろうな、と半ば諦めていたので、自分と同じ悩みを抱えている人が全国に、いや、世界中にいると知ったときは驚きました。そして同時に心がスーッと楽になっていくのを感じました。
場面緘黙症の症状は、家では普通に会話をすることが出来るのに、学校や職場といった特定の場面に出ると、不安、緊張から言葉を発することが出来なくなるというもので、中には表情を作ることも出来ない、という人もいるらしいです。
私の場合も表情が乏しく、時々周囲の人々に誤解を与えることがありました。
今も後遺症(?)なのか、表情を作ることが得意ではありません。
気になる発症原因ですが、まだ研究段階のようで詳しくは分かっていません。
けれど、不安になりやすい気質を元々持っていて、そこに社会的要因や文化的要因、心理的要因などが絡まって発症するのではないかという仮説はあるようです。
イギリスの言語療法士のマギー・ジョンソン氏が場面緘黙症を以下のように五つに分類しています。
- 場面緘黙傾向
- 純粋な場面緘黙
- ことばに苦手がある場面緘黙
- 複合的場面緘黙(発達的問題や心理的問題の合併)
- 遅発発症の場面緘黙(学校での孤立やいじめによる発症が多い)
自分の場合どこに分類されるのだろうと見てみると、3のような気もするし、4のような気もするのですが、発症する前後に大きなストレスを慢性的に抱えていたことを考えると(ここでは触れません)、4の、複合的場面緘黙に当てはまるような気がします。
戦いは続く
私が場面緘黙を克服したのは、中学二年生の時のことです。
小学校からずっと仲良しだった子から、手紙を受け取りました。
「わたしとあなたは友達なのに、どうして喋ってくれないの?あなたと楽しい時間を過ごしたいから遊びに行ったのに、一言も喋ってくれなかったから、すごく悲しかった」
確かこんな内容だったと思います。
せっかく家に遊びに来てくれた友達に、私は学校でしているのと同じように筆談で接していました。
自分の家なのに声一つ出すことの出来ない違和感で、私はちょっと苛立っていました。
そんなピリピリが友人にも伝わっていたのだと思います。
私は甘えすぎているな…。
その日から関係がぎこちなくなり、このままじゃいけない、と思うようになりました。
私は謝罪の手紙を友人に渡しました。
そして、勇気を持って声を出してみたのです。
友人はとても喜んでくれました。
私、いったい何を恐れていたんだろう?
喋れるようになると、これまで言葉を発してこなかった長い時間がものすごく勿体ない、と思えてきました。
そして、私が喋るようになったことで周囲の人間が奇異の目で見るようなことはありませんでした。
「今まで喋らなかったのに、どうして突然喋るようになったの?」
なんていう不躾な問いかけをしてくる子がいなかったことは、私にとっては救いでした。
どちらかというと、女子も男子も総じて、暖かく見守ってくれているような感じでした。
中学三年にもなると、みんな、私の「喋れなかった過去」のことなどすっかり忘れているようでした。
私自身もそうです。
こうして高校、大学と進学し、まわりに私の場面緘黙時代を知る人間はほとんどいなくなりました。
そんな中、私はあることに気付きました。
「私って、喋るのすっごい下手くそ…。」
自分の考えを説明するのが下手で、伝えたい言葉が頭の中でごちゃごちゃになって少しもつながらないんですね。
しかも、人の話を理解することが時々出来ないんです。
一対一だといいのですが、これが三人、四人と増えていくと話の核が見えなくなっていくという…。
単に集中力がないってだけの問題かもしれませんが、コミュニケーションを十分に学ばなければならなかった小学校時代に、口を閉ざし続けた弊害なのではないか?
と考えてしまうと、結構寂しいです。
実際のところは分かりませんが…。
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