前回記事では、場面緘黙症を発症した幼稚園~小学校6年間のことを主に書いてきました。
後半となるこの記事では、
- 長い場面緘黙の状態からどうやって抜け出したか
- 身近に場面緘黙児がいるときどう対応したらよいか
- 場面緘黙を克服したあとの後遺症
について書いていきたいと思います。
長文になる可能性が出てきたら一端区切ります。
場面緘黙症:新しい環境でのストレス
過去記事、口下手な主婦って私だけ?場面緘黙症は続く…の中でちょっとだけ触れましたが、私が長ーい長ーい場面緘黙の状態を抜け出したのは中学二年生の時のことでした。
幼稚園から小学校6年間、そして中学校の1年間は場面緘黙状態にありました。
自分の意見を主張したいのに出来ない苦しみ、注目されることへの恐怖は常にありましたが、そんな私でも仲の良い友達は何人かいました。
特に仲が良かったのはAちゃん。
その子とは幼稚園から中学校までずっと一緒でしたが、本当の仲良しになったのは小学五年生の頃のことです。
彼女も物静かで人見知りでした。
私との違いは、自分から積極的に話すことはないけれど、意見はちゃんと言えるところ。
やりとりは手紙の交換だったり、筆談だったり、彼女の言葉に私が頷いたり首を横に振ったりという方法で行っていました。
小学校まではこれで不足はなかったし、お互いに当たり前のことになっていたので疑問を差し挟む余地もありませんでした。
ところが、中学校に入学して環境がガラリと変わると、これまでのやり方ではうまく行かないことが多々出てくるようになったんですね。
まずは色々な小学校から色々な生徒が集まってきます。
私とAちゃんはクラスが別々になってしまったので、休み時間に廊下で顔を合わすくらいしか出来なくなりました。
新しい環境での不安や、新たな友人関係の形成、そういったところから生じるストレスはお喋りで手っ取り早く解決したいんですよ。
でも、私にはそれが出来ない。
本当はやりたいのに出来ない。
Aちゃんとはこんなに意思が通じ合っていて仲良しなのに、肝心の言葉でのコミュニケーションがまったく取れない。
顔を合わせられるのは短い休み時間だけ。
手紙を渡して、Aちゃんがちょっとだけ喋って、私が頷いてあっという間におしまい。
なんとなく未消化な感じなんですよね。
いつもいつも。
私もAちゃんも慢性的なストレスを抱えた状態でした。
友人との間に生じたズレ
お互いに苛立ちを覚えながらも、表面上は仲良しでした。
非常に違和感のある関係になっていましたが、私にはこの状態を打破する勇気なんてありませんでした。
あるとき、一緒に遊ぼうという話になり、Aちゃんが私の家に来ることになりました。
小学校は同じでも家が遠かったので、今までそんなに頻繁に行き来はしていませんでした。
久しぶりに落ち着いて顔を合わせることが出来ると思ったら、嬉しくて朝からドキドキでした。
飲み物やお菓子を沢山用意して、Aちゃんを迎え入れました。
まずはお決まりのお手紙交換。
すぐに封筒を開けてお互いに手紙の内容を読みます。
Aちゃんが意見を言います。
私は頷いたり笑ったりという反応を返し、それで足りないときは紙に思いを書いてAちゃんに見せます。
いつもと変わらぬ日常、のはずだったんですね…。
時間というものは残酷です。
学校では足りない足りないと思っているのに、いざたっぷりと時間が出来ると、私とAちゃんの間のちょっとしたズレが少しずつ少しずつ大きくなっていくのが分かりました。
母親が部屋に様子を見に来て、私やAちゃんに声をかけます。
私はAちゃんの前なので母親の問いかけに普段のように答えるわけにはいきません。
Aちゃんに対しては体裁が整うのですが、母親に対しては得体の知れない羞恥心が沸き上がってきてどうしようもありませんでした。
一応プライドってあるんですよ。
弱い部分は絶対親には見せたくないっていうね…。
母親が去ってようやくホッと落ち着くんですが、その後はなんとなくぎくしゃくした雰囲気になってしまって、絵を描いて遊んだり、コレクションを見せたり、オススメ洋画のビデオを一緒に見たりしても、少しも気持ちが上向きにならないんです。
私も苛立っているけれど、Aちゃんだって同じくらいピリピリしているんですよ。
しばらくすると、Aちゃんは一言も喋らなくなりました。
そして、
「そろそろ帰るね」
笑いもせずにAちゃんは帰っていきました。
友人の本音を聞く
翌日、Aちゃんが私のクラスに入ってきて、無言で手紙を置いていきました。
休み時間になると、私たちは暗黙の了解のように廊下に出て顔を合わせます。
ですがその日、私は前日のぎくしゃくした感じを引きずっていて、ずっと教室の椅子に座ったままでした。
Aちゃんはそんな私の態度が許せなかったのだと思います。
決して別のクラスに入ってくることなんてなかったAちゃんが、手紙だけを置いて去って行く後ろ姿が、私の目に強烈に焼き付きました。
良いことなんて書かれてないよな…と思いながら、手紙を開けました。
昔の出来事なのでここで正確に再現することは出来ないのですが、大体こんな内容の文面でした。
- 昨日遊ぶの楽しみにしていたのに、あまり楽しめなかった。
- 何も喋らずに長時間映画を見ているのは苦痛だった。
- 私と全然喋ってくれないのが悲しかった。
- 友達だと思っていたけど、友達じゃないのかな。
正直言うと、あまりショックは受けませんでした。
どちらかというと、来るときが来たかっていう感じでした。
分かっていたんですね。
こんな関係でいつまでもいくことが出来ないってことは…。
いつもなら手紙で反論という形を取るのでしょうけれど、これに関しては反論の余地なんてまったくなかったので、私は弁解の内容の手紙を書きました。
けれど、それをAちゃんに渡す勇気はありませんでした。
結果的にAちゃんの気持ちを無視するという形なってしまい、Aちゃんの苛立ちはおそらくマックスになっていたことでしょう。
次の日もAちゃんは無言で手紙を置いて去って行きます。
私もそれに対して弁解の手紙を書きます。
けれどやっぱり渡せない。
Aちゃんのストレスを考えると同情してしまいますが、結論から言うと、私にとってはとても重要な時間だったと思います。
返事は渡せないけれど、自分の気持ちを書くということは、ゆっくりと自身と向き合う行為なんですよね。
どんどん気持ちが固まっていくのが分かりました。
Aちゃんを不機嫌にさせてからそう経たないうちに、私は自分からAちゃんのクラスの前に立って、Aちゃんが出てくるのを待ちました。
Aちゃんは私が手招きすると、笑いもせずにやってきました。
「ごめんね」
その言葉を発したときの私は、頭の一部が麻痺したような状態でした。
なんとなく自分が二人いて、「ごめんね」と声にしたのはもう一方の自分のような感覚っていうんでしょうか(汗)。
だから自分が想像していたような恐怖とか羞恥心って意外に小さくて、あれ?ってなったことを覚えています。
私はAちゃんに今までのことを詫び、これからも友達だよ!いっぱい喋るようにするからね!的なことを書いた手紙を渡しました。
最初はぎくしゃくしていましたが、それ以降、私はちょっとずつ喋るようになっていきました。
あったのはちょっとした緊張感だけです。
でも喋れるようになると、そこは趣味が共通の気心の知れた友人同士ですから、お喋りが本当に楽しくなっていくんですよね。
二年生になってクラスが一緒になると、毎日当たり前に会話していたし、時々地味なケンカもしたりして、少し前まで自分が喋れなかったことが嘘のようでした。
小学校時代から私を知っている同級生も、私が喋るようになったことでからかうようなことはありませんでした。
だから、案外喋ることへの恐怖にがんじがらめにされているのって、本人はつらいんですけど、周りからしたら「無意味だよ」くらいのもんなんでしょうね。
誰も、やっと喋れるようになった人間に、
「何で喋ってるんだ。お前は喋らない人間だろ!喋るなよ!」
なんて言いません。
だって喋らない人って、それだけで得体の知れない感じで、何考えているかわからない不安ってあるじゃないですか。
だから、私のように声を出す機会がやってきたのであれば、そこを逃すのは非常に勿体ないです。
みんな案外ウエルカムな感じだったりするんで、声を出したことを後悔することってそんなにないと思います。
中には意地悪なヤツもいるかもしれません。
でも一度声を出してしまったら、そこからまた場面緘黙の世界に戻るのって逆に難しくなると思うんですよね。
だって、気心の知れた友達と会話をする楽しみを知ってしまったあとですよ。
私が喋るようになったことで新たに寄ってきてくれた友達も増えました。
そりゃもう、戻れないですよ…。
意地悪するヤツにはキッパリ言ってやればいいんです。
「喋りたいから喋っているんだよ!(つべこべ言うな)」
って感じでね。
私のところにも、からかい半分で、
「なんで喋ってんの?ずっと喋ってなかったじゃん」
と言ってきた男子がいましたが、
「え?喋ってたよ」
ってすっとぼけて答えていたら、
「うそだ。ずっと喋らなかっただろ!」
と食い下がってくるんですが、こちらも負けずに、
「ううん、喋ってた喋ってた」
と半分適当に返すんですね。
するとそのやり取りが面白いのかニコニコしているんですよ、その男子が。
こっちは半分投げやり半分緊張ですが、自分の殻を破ってとうとうここまで到達したんだな…という安堵がこういうやり取りを繰り返すうちに濃くなっていくんです。
だから、もう戻れません。
場面緘黙症を克服する機会を作ってくれた友に感謝
Aちゃんとのすれ違いがなかったら、私はおそらくもっと長いこと場面緘黙症に苦しんでいたと思います。
どこかで変わらなければいけないということは常に思っていました。
Aちゃんに申し訳ないという気持ちもずっとありました。
けれど、あと一歩の勇気が持てずに、いつも足踏み状態でした。
自分を情けなく思い、これが私の運命なのだと半分諦めも入っていました。
時々自分が普通に喋れる人間だったら、クラスではどんな立ち位置だったろうということを想像し、ちょっとだけ楽しい気分になったあとでどん底に突き落とされました。
どんなに仮定の自分をイメージしたって、実際の私は自分の殻を破る勇気すら持てないのですから。
だから、Aちゃんが本音をぶつけてきてくれたことには感謝しています。
Aちゃんだって、もしかしたら私という友達を失うかもしれないというリスクを感じていたことでしょう。
おとなしいもの同士だったので、本当に寄り添うように生きていました。
私を失えば、Aちゃんだって困ったはずです。
それでも気持ちをぶつけてきてくれたのです。
大袈裟なようですが、その後の私を作ってくれたのはまさにAちゃんの勇気でした。
長くなったので、続きは後日に回します。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!!
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