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場面緘黙症の苦しみ。誰にも関心を持ってもらえない辛さ

給食

私は幼稚園から中学1年まで、場面緘黙状態にありました。

場面緘黙とは、家では普通に話せても、学校や職場などある特定の場所に行くと、極度の不安や緊張のために言葉を発することが出来なくなる症状です。

原因はまだ仮説の段階ですが、元々不安になりやすい気質を持っているところに、様々な要因(社会的、文化的、心理的要因)が重なることによって発症するのではないかと言われています。

私の場面緘黙人生は、幼稚園の入園式で沢山の同級生を見たところから始まります。

それまでの私は、本当に限られた人間との接触しかありませんでした。

それが突然、同じ背格好の子供の大勢いる輪の中に入れられたのです。

あのときの恐怖と得体の知れない不安。

今でも馴染みのある感情として胸に焼き付いています。

環境に慣れたら改善するという類いのものでもないので、幼稚園時代は常に緊張の連続でした。

自分の外側にあるものは全てが理解の範疇を超えた存在であり、いつ殻を突き破ってこちらに侵入してくるか分かったものじゃない。

それなら、身を守るためにも声を立てず、息も潜め静かにしていよう。

しかし、幼稚園という場所は好奇心で作られた世界。

どんなに息を殺していても、殻のちょっとしたひび割れを覗き込んできたり、叩いてみたり…。

そのたびにキュッと心臓を鷲づかみにされたように縮こまっていたことを思い出します。

今も書きながら当時を思い出していたら、胸が苦しくなってきました(^^;)

ということで…。

今日は、私の緘黙人生で一番むなしく、自分の存在意義を深刻に考えるきっかけにもなった出来事について書いていきたいと思います。

口下手な主婦って私だけ?場面緘黙症は続く…

一番楽しいはずの給食の時間が恐怖の時間

これは中学一年の頃のお話。

私の通う中学は、給食研究のモデル校でした。

ビュッフェや外国料理、学食スタイルで好きな友達と給食を食べるという試みを定期的に行っており、勉強にがんじがらめにされていた中学生にとっては夢のような時間だったと思います。

しかし、私だけはこの時間を素直に喜ぶことが出来ませんでした。

ビュッフェや外国料理だけならまだいいです。

今日はビュッフェ!という日はもう嬉しくて朝から勉強なんて手に付きませんでしたからね。

問題なのは、2週間に一度くらいの頻度で回ってくる学食スタイルでの給食。

これは、クラスごとにホールに移動し、好きな友達と自由に席に座って食べられるというものなのですが、ホールにあるテーブルはなぜか大きなものばかりで、3、4人で座れるテーブルは数える程度しかありませんでした。

中学一年当時、私はまだ場面緘黙を克服しておらず、小学校からの仲良しの友達とも別々のクラス。

当然コミュニケーションを取れる友人なんて1人もいません。

ということは、この自由席での給食も、一緒に食べる相手がいないということ。

ホールに向かう廊下を、同級生たちの背中を見つめながらトボトボと歩き、

チョーム

この廊下が延々とどこまでも伸びていて、永久にホールにたどり着かなければいいのに…

と毎回思っていました。

ホールに行くと、すでに席はうまってしまっています。

空いている椅子を見つけても、私には「ここあいてる?」という一言すら口にすることができません。

1人で困ってたたずんでいるのを先生が見つけてくれるか、親切な女子が「〇〇ちゃん、ここ座れば?」と言ってくれるのを待つばかり。

繊細な上に人一倍プライドが高かったので、この時間はまさに生き地獄でした。

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自尊心が大きく傷付く

ここまでは、どんなかたちであれなんとか席に座ることが出来ていたので良かったのです。

しかし、こんなことをこれから何度も繰り返し、そのたんびに苦しい思いをしなければならないのだろうかと思ったら、心が折れてしまいそうでした。

あるとき、私は決心します。

今度は一番最初にホールに行って、早く席を取ってしまおう。そうしたら、後から来たクラスメートが、「〇〇ちゃん、ここ座ってもいい?」って聞いてきてくれるはず。私に断る理由なんてないから、もちろんいいよって言う。みんなの話を聞きながら、給食を食べるんだ。もしかしたらこちらにも話を振ってくれるかもしれない。そうしたら、私はニッコリ微笑もう…。

そう思ったら心がスッと軽くなりました。

授業が終わると、私は一目散にホールに向かいました。

何人かの男子がすでに小さいテーブルを取っていたため、私が座れたのはちょっと大きめのテーブル席。

そこに私は1人腰を下ろし、他のクラスメートが来るのを待っていました。

席はあっという間にうまっていき、最終的に私が座っている大きいテーブルだけが空いているという状態。

最後のほうに来た女子グループは、怪訝そうに私を見つめながら、結局別のクラスメートの席に散り散りになって座りました。

この瞬間の私の心理状態は、言葉にすることがちょっと難しいのですが…。

なんと言えばいいのでしょう。

緘黙状態になって数年、冷たい言葉を浴びせかけられたことや、ひどいいじめをうけたこともありますが、そういう時に感じる感情とはどこか似ていて、でもまったく別の、心の最後の温かい部分が急速に凍り付かされてしまったような、何とも言えない感覚でした。

え?ここ空いてるよ。私のいるテーブル、こんなに空いてるよ。座っていいよ。なんでみんな私に言ってこないの?「ここ座ってもいい?」って…。

私が感じたのは、クラスメートたちの迷惑そうな冷たい視線だけ。

結局、私は私だけが座る広いテーブルで、たった1人で給食を食べました。

心の中は屈辱感でいっぱいでした。

なにしてるんだろう、私…。

いったいなにがしたかったんだろう。

みんなに少しでも気にかけてもらっているって思ってたの?

勘違いもはなはだしい。

一言も喋らない、仏頂面の私のことなんて、誰も気にしていないし、もしかしたらいること自体迷惑に思われているかもしれないのに。

バカだなぁ…。

この時が、私が自分の存在意義について初めて疑問を抱いた瞬間だったと思います。

人一倍高かったプライドが崩れ去り、私はよりいっそう自分に劣等感を抱くようになっていきました。

いじめられることはとても辛いことですが、いじめというものには必ず私という個の存在があります。

いじめる相手は私という個のあれが気にくわない、ここが気にくわないという確かな理由のもとに攻撃してくるのです。

しかし、この学食スタイルでの給食の時間は、私という個の存在は完全に無視され、あるのはただの無関心だけでした。

存在を誰にも意識してもらえないというのは、想像以上にキツイものです。

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場面緘黙症を理解することの難しさ

当時、校長先生が「我が校は給食研究のモデル校に選ばれた。滅多にない経験だ」というようなことを、とても誇らしげにおっしゃっていました。

給食の時間になると、にこやかな笑みをたたえて、教室やホールに顔を出していました。

私はこの校長先生の無邪気さと穏やかな雰囲気がとても好きでしたが、いつも1人でぽつんとしている私を見ても、先生が私に声をかけてくることはありませんでした。

20数年前の教育現場には、場面緘黙や発達障害という外側からはなかなか分かりづらい症状を抱えている子供に対する認識や対策というものは、ほとんどなかったように思います。

おそらく先生方の目には、私は無口で無表情のなにを考えているのか分からない変わった子というとらえ方しかされていなかったのでしょう。

あのとき、ちょっとでも気にかけてもらえたら。

一言でも声をかけてもらえていたら。

そんなふうに考えるのはおこがましいことなのかもしれません。

しかし、そんなちょっとしたこでも、どん底に突き落とされてしまった心にわずかばかりの救いを与えることにはなったんじゃないかと思えるのです。

今は、発達障害児へのケアは学校でしっかりと成されているという印象がありますが、場面緘黙児へのサポートはどれほど進んでいるのでしょう?

教室に緘黙を疑われる子がいた場合、担任が個人的に情報収集をするというのが現状なのでしょうか?

私が子供だった20数年前とは違い、めまぐるしいスピードで情報共有がされている現在なので、もしかしたらサポート体制がしっかりと整っているのかもしれません。

とはいえ、場面緘黙児の心の中を理解するのはなかなか難しいのではないかと思います。

緘黙を持っている子は表情を作ることが苦手な場合が多いので、外側から見た印象で全てを把握するのは至難の業だったりします。

今だから分かることですが、ホールのテーブルで1人座っていたとき、私の顔は緊張で強ばっていたのではないかと思います。

私が喋らないのを分かっていても、なんとなく気にかけてくれるクラスメートは数人いたのですが、その子たちも私との関わりを持つことを避けているように見えました。

おそらく、私は自分の意に反してどこか威嚇的な雰囲気をかもし出していたのでしょう。

心で思っていることをそのまま表情に直結させることが出来ない、という子が場面緘黙児には多いのです。

ですから、サポートする側は思っている以上にケアの難しさを感じてしまうことになるかもしれません。

過去記事で場面緘黙当事者として緘黙児への対応についてまとめているので、よかったら覗いてみてください。

長くなってしまったので終わりま~す(^^;)

最後まで目を通してくださった皆様、ありがとうございます。

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