こんにちは。
「超・無口」略してチョームです。
このブログを立ち上げた当初は、場面緘黙症のことや口下手のこと、人見知りやネガティブ思考のことを沢山書いていこう!って意気込んでいたんですが、なんせ臆病者ですから、過去を振り返るのがしんどいっていうか辛いっていうか、避けて通れるもんなら避け続けようと心のどこかで思っていたわけです。
でもいつまでも逃げているわけにはいかないんですよね。
ちゃんと自分の過去と向き合って、これから先の人生を生きやすくしていかないと!
っていうのも、場面緘黙症の後遺症なんじゃないかと思うことが多々あって、日々生きづらさを感じてしまっているわけです。
場面緘黙症の背後にあるもの
場面緘黙症というものについては、過去記事のなかで詳しく書いているのでここでは深くは語りませんが、簡単に言うと、
「家では普通に喋れるのに、幼稚園や学校、職場などの特定の場面や状況になるとまったく喋れなくなる」
といった状態のことです。
もともと不安になりやすい気質を持っていて、そこに様々な要因が重なることによって発症するんじゃないかというのが有力な説らしいです。
私は幼稚園から中学1年まで場面緘黙の状態でした。
発端は入園式で沢山の同級生を見たところから始まるのですが、入園式以前にも、近所の友人が「この子私のお友達なの!」と言って男の子を連れてきたときに、得体の知れない不安を感じたことを覚えています。
今でもどういう心境があって不安になったのか?というのはよく分からないんですが、仲の良かった幼なじみが別のコミュニティを持っているということへのショックというのも、少なからずあったと思います。
そして、幼稚園入園前後には私にとってとても辛い出来事がありました。
父親がある日突然失踪してしまったのです。
当時の感覚だと、1年くらい不在だったように感じていたのですが、大人になってから父親に直接聞いてみたところ、いなかったのは四ヶ月程度だそうです。
家では大変な騒動になりました。
なぜならただの失踪ではなく、「愛の逃避行」だったんですね。
相手方の旦那様とそのご両親がうちに来て、みんなで深刻そうにうなだれながら、これからどうすればいいのか、という話し合いを頻繁にするんです。
いつも母親は静かに涙をこぼしていました。
それを私は母の膝に乗って見上げていました。
まだ5歳前でしたが、私はすべてを理解していたし、ただひたすらこの緊迫した時間が早く過ぎ去ることを願っていました。
今思い出すだけでも、相当なストレスだったと思います。
結局父親は帰ってきましたが、母親の怒りは相当のもので、毎日が大喧嘩でした。
母親が感情的になって自分の首に包丁を突き立てようとするのを、父親が寸でのところで阻止するという瞬間も目撃しましたし、父親の所有物を母親が片っ端から破いたり壊したりする様も何度も見ました。
離婚しなかったのは母親の精一杯の抵抗、もしくは復讐だったのかと考えた時期もありましたが、お互いに深く傷付きながらも離れなかったのは、やっぱり愛情が残っていたからなのかな…。
いずれにしても夫婦喧嘩を子供に見せるのは、相当なリスクがあるということです。
別に親の不仲を自分の場面緘黙につなげたいわけではありませんが、4歳の子供にとっては不要なストレスですよね。
4歳児は「腹減った~」とか「雨降っていてお外で遊べない」くらいのストレスでよいのではないでしょうか。
幼稚園の先生の対応
毎日激しい喧嘩をしていた両親ですが、父親が戻ってきてくれたことは正直嬉しかったです。
田舎の小さな町なので、近所の人間に後ろ指を指されることは百も承知だったことでしょう。
家族に責め続けられる人生になることも分かっていたはずです。
それでも父親は己の過ちを認めて戻って来ました。
あの女の人じゃなくて、私たち家族を選んでくれたんだ。
そんな感情が当時の私にあったのかどうか分かりませんが、必死に耐えている父親の姿に、安堵のようなものを感じていたのは確かです。
もちろん不安やストレスがほとんどでしたが。
幼稚園では先生が我が家の噂話をしているところに何度も出くわしました。
クスクスケラケラ笑いながら話している内容が、自分の父親のことだと知ったときのショックといったら、言葉に出来ませんね。
幼稚園児にして、大人への不信感を植え付けられたように思います。
私がもともと不安になりやすい気質を持っていたのかどうかは分かりませんが、
「様々な要因が重なることによって場面緘黙症になる」
というところの「様々な要因」の部分が、この家庭のいざこざや幼稚園教諭の噂話(左利きのことでも色々とややこしい目に遭いました)なのだとすれば、なんとなーく場面緘黙になる運命だったのかしら?と思ってしまいます。
反対に、父親の不在がなく両親の仲が良かったら、場面緘黙人生はなかったのかな?と考えるんですが、こればかりはなんとも分かりません。
2歳、3歳の記憶が残っていれば解明するんでしょうけどね。
幼稚園同級生の反応
私が笑うと、
「チョーちゃんが笑った!笑った!」
とみんなが集まってくるので、怖くて笑えなくなりました。
お絵描きが得意だったので、
「描き方教えて!」
と寄ってくる女の子たちはいましたが、描き終わるとすぐに行ってしまうので、孤独を感じていました。
私だけじゃなく、なんとなく「個性的だなあ」という子が何人もいたので、喋れない私だけが爪弾きにされるような状況はあまりなかったと思います。
だから幼稚園教諭とのやり取りで辛く思ったことは何個も思い出せるんですが、同級生たちとのやり取りはあんまり覚えていません。
喋りたいのに喋れないモヤモヤと孤独は常に感じていましたけれどね。
小学校での6年間
同級生や上級生、時々下級生にもコミュニケーションがうまく取れないことで、いじめられたり攻撃を受けたりしたことは数多くあるのに、鮮明に頭に残っているのは教師とのやり取りばかりです。
1、2年生の頃の担任から受けた、左利きを右利きに矯正させる指導は、私の人生の中でも結構強烈でした。
2年間耐え続けることが出来たのは、きっとまだ幼い子供だったからだと思います。
大人なら、「なんて理不尽な!」となって抵抗の1つくらい出来ますが、そこは子供ですからね。
間違っているのは私なのかな?私が悪いのかな?
という思考になってしまい、どんどん自分の中に引き込もっていっちゃうんです。
3年生の時の先生は、私が左利きであることを当然のことと認めてくれ、喋れない私を本当に優しく気遣ってくれました。
4年生の頃の担任は、授業中発表を1度もしなかった私に、
「何で喋らないんだ!喋れ!喋れ!喋れ!」
とエンドレスのように怒鳴り続けました。
荒療治過ぎるわ!と突っ込み入れたくなりますが、この先生は、私を「お人形みたいだから家に飾っておきたい」と発言し、母を怒らせました。
お人形みたいって言われたことが、可愛いとかそういうことなんだろうな、と思って私は喜んで母親に言ったんです。
先生にこう言われたって。
母親が「冗談じゃない!馬鹿にして!」と怒り出したときは本気でビビりました。
今になると母親が感情的になった気持ちも分かるんですが、当時はよく分かってなかったです。
5、6年の頃の担任は児童一人一人の個性を伸ばすことに長けた先生でした。
常に自分に自信がなく、勉強もろくに出来ないクラスの吹き溜まりみたいな私でしたが、唯一これは誰にも負けないぞ、というのが作文を描くことでした。
ある時自由勉強で書いた作文を先生がみんなの前で、「これすごいだろ」とほめてくれたんですね。
今まで私が目立ったことなんてなかったので、みんなが「おおお~!」となりました。
そしてその後、なぜかみんな触発されたように文章を書いて先生に見せに行くようになりました。
私も「負けるわけにはいかない!」という気持ちになり、その後も挿し絵入りの物語を書いたりして先生に見せにいきました。
自分もちゃんとクラスメートの一員なんだと自覚した出来事であり、喋れない私でも、こうしてみんなの心を動かすことが出来るんだ!という自信にもつながった出来事でした。
今でこそ緘黙児に対する認識は少しずつでも世間に浸透してきた感がありますが、私の幼少期はまだまだ誤解があったし、学校生活が明るくなるか暗くなるかは、先生の性格にすべてが委ねられていたように思います。
保護者懇談会で母親がどんな風に言われ、どんな風に思われていたのか、親になってみると色々と気になるところですが、母親を始め、父親も祖父母も、私に対して、
「学校でも家で喋っているように喋りなさい」
とは一言も言いませんでした。
別に子供に無関心って訳じゃないですよ。
学校でもプレッシャー、家でもプレッシャーになっていたら、きっとどこかで自分が壊れてしまっていたと思います。
自分の好きなことだけを好きなだけ出来る、誰も干渉しないという奔放な生き方の可能な環境を用意してくれた家族には、本当に感謝です。
長くなったのでこの続きはまた後日!
中学校時代と、緘黙を克服したあとの後遺症的な内容でお送りしたいと思います。
このブログが今現在緘黙症状で悩んでいる人、子供の緘黙に悩んでいるご両親、クラスの緘黙児への対応で悩んでいる先生方、私みたいな口下手主婦の方々の力になれれば、とても嬉しいです。
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