私は幼稚園から中学一年生まで場面緘黙症でした。
中学二年生のときに克服したのですが、長い間口を閉ざし続けた弊害は少なからずあって、いまだに喋りづらさに悩まされています。
集団に入ったときの不安感も当時とたいして変わっていないような気がします。
子供が小さいうちはまだいいんですけど、幼稚園、小学校と進んでいくと「自分たちの世界で自由に」というわけにはいかなくなってしまうんですよね。
PTA活動に子供会…。
メンタル激弱主婦には地獄のような試練の連続です。
言葉がうまく出てこない
小学生の時にふと気付いたことがあります。
それは、言葉がスムーズに出てこずに、所々つっかえてしまうこと。
小学校では場面緘黙症で授業中以外喋っていなかったので、これは家でリラックスした状態で喋っている時に、特に感じる違和感でした。
よく言われる「どもり」とか「吃音」の症状だと思うのですが、特に周りに指摘されるということはありませんでした。
当時の感覚では、恥ずかしいというよりも、思っていることが滑らかに出てこないことへのストレスのほうが強かったように思います。
吃音症とは
吃音の原因として、昔は心理的なことが関係していると言われていたようですが、現在ではあまりそういう見方はされていないようです。
なら何が原因なのか?
海外の研究によると、吃音を持っている人は言葉を発しているとき、脳の右側が大きく活動しており、左側の視角野の活動が低いそうです。
吃音を持っていない人の脳では、左側の言語領域が活動しているので、真逆ということになります。
それから、遺伝というのもあるようです。
親が吃音症だと、その子供が吃音になる確率は60%。
最近の研究で、吃音の原因遺伝子というものも特定されています。
私の場合は、両親に吃音はないので遺伝ではなさそうです。
また、左利きから右利きに矯正された場合に、吃音症を発症するという説もあるようです。
本来、人間は左手を使うときは右脳を、右手を使うときは左脳を使うというようになっているのですが、矯正をすることで脳が混乱を招き、吃音につながってしまうというんですね。
私は左利きですが、小学校低学年のときに担任から利き手を矯正されかかったことがありました。
2年間ずっと矯正指導を受けていたこともあり、右利きの人が左手で字を書くよりかは、幾分上手に右手でも書くことが出来ます(でも、ものすごく違和感あります)。
矯正は私や両親が望んだことではなく、担任教師の独断で始まったことでした。
なので、
左利き=良くない
という図式に理解が及ばなかった私は、先生が見ていないところでは左手を使っていました。
見付かると大目玉です。
クラスメートも監視の目を光らせていたので、ひとときも気の休まる瞬間がありませんでした。
担任が替わるまでの2年間は相当のストレスを抱え込んだ状態だったと思います。
幼少期の大きなストレスというのも発症原因の一つとしてあげられるようです。
様々な要因があるので、一概にコレだ!とは言えませんが、私の場合は利き手の矯正指導も原因の一つとして挙げられるのかな、と思います。
場面緘黙症と吃音症と
不安感を常に抱いている場面緘黙症、喋れる場所でも思うように言葉が出てこない吃音症。
どちらも病院で正式に診断されたわけではありませんが、診断のチェック項目などを見ていくと、私は明らかに場面緘黙症、吃音症を抱えております。
そして、これらを抱えたままろくな治療(診療)も受けずに、気付いたら30代!!
一応場面緘黙症は自分の中では克服したということになっておりますが、集団の中に投入されると言葉なんて一言も出てきません。
指名されて喋らなければいけないシーンになっても、吃音のために所々つまずきながら、やっとやっと言葉をつなげている感じです。
言葉の最後の方になると、自分がなんの話をしていたのか分からなくなって、とんでもなく脈絡のない完結の仕方をしてしまい、周囲にはてな顔をされるということも多いんですね、残念なことに。
本当に残念ですよ。
学校の保護者懇談会とかの、かしこまった席に限った話じゃありませんよ。
家でも頻繁にあるんです。
しかも、吃音に関しては今の方が酷くなっています。
出だしの言葉が「ど、ど、ど、どうすんの!」と連続して出てきたり、言葉がつながらなかったり、喋っている途中で何のことを話しているのかわからなくなったり、モノの名前が浮かんでこないので画像をイメージして、そこからやっと言葉を導き出したり…。
リラックスした環境でも言葉での苦労は計り知れません。
吃音症はだいたい子供のうちに良くなることが多いみたいですが、大人になっても引きずっている場合、改善には相当な努力が必要となるようです。
私の場合、子供に話の途中で遮られたり、夫に「だから何が言いたいの?」と言われただけでも気持ちが萎えてしまうので、まずはメンタル強化が最優先かな…。
交友関係
ありがたいことに、子供たちを通して知り合ったママ友はみんな良い人たちばかりでした。
過去形なのは、度重なる引っ越しのために出会っては別れを繰り返してきたので、今ではもう会えない友達がほとんどだからです。
そして引っ込み思案な私は、四月から新たな土地にやってきたのですが、まだ新しいママ友を作っていません。
このままでは自分が駄目になる!
子供たちのためにも良くない!
と思って、最近やっと重い腰を上げて子育て支援に参加するようになりました(といってもまだ2回しか行ってない)。
引っ込み思案なうえに会話がスムーズに出来ないというコンプレックスのために、自分から他の親子に声をかけることがなかなか出来ません。
近づいてきた子供には普通に話しかけることが出来るのですが、そこにママが近づいてくると途端に緊張してしまうんですよね。
そして私がいつも不思議で仕方がないのは、どんなにおとなしそうなママでも、子育て支援の職員との雑談などを聞いていると、すらすらと言葉が出てきているということ。
ネットの世界では口下手で悩んでいるママがたくさんいて、ああ、私だけじゃないのね、とちょっと安心するのですが、一歩現実の世界に出ると、そんなママさんにはお目にかかったためしがありません。
いったい私のお仲間はどこにいるのでしょう!?
自分に余裕を持つことの大切さ
来年は次女の幼稚園入園があります。(2020年現在次女は小学二年生)
幼稚園の未就園児支援に何度か参加したのですが、親子でポツンとしているのは私たちだけだったような…。
今から不安いっぱいですが、あまりあれこれ深く考えず、流れに身を任せていこうかと思います。
というのも、長女が乳児の頃、早くママ友作らなきゃと焦って自分を追い込んでしまったことがありました。
せっかく新米ママを対象にした交流会に出席しても一言も喋れず、そんな自分の情けなさに嫌気がさしました。
いい年をして職員の方に「この方あまり話していないように見えたから…」と心配され、橋渡しをしてもらったことも、結構な痛手でしたね。
結局メアドを誰とも交換出来ず、1度目の交流会は終わってしまいました。
2度目の交流会はそのひと月後にありました。
その間、毎日のようにどうすれば友達が出来るのか、どうしたら上手に喋れるのか、考えなかった日はありません。
2回構成の交流会だったので、ここでママ友が出来なかったらせっかくのチャンスを無駄にしたということになってしまいます。
すごく焦りました。
緊張も半端なかったです。
自分を追い込んで暗くなっている私を見て、あるとき夫がこう言いました。
「別に、○○(長女)のために友達作るって思えばいいんじゃない?」
その言葉が私の中でパッと光を放ちました。
そうか、そうだよね。
私のための友達じゃなくて、○○(長女)のための友達だ。
そう思うと気持ちが楽になっていきました。
変な重圧から解放されたとでもいいましょうか。
自分のために友達を作らなきゃと思うと、相手に変な人と思われないように気を付けなくちゃ、と思うあまり、結局一言も言葉を出すことが出来ず、余計変人と思われてしまうっていう負のスパイラルに陥ってしまうのが常でした。
でも、子供のための友達作りと割り切ってしまえば、一歩引いたところにいられるわけなので、それだけ気持ちにも余裕が生まれてくるんです。
あくまで主役は子供。私は脇役。
なので、変な人に見られようが見られまいが一切関係なしでいられるんですよね。
余計な緊張感がなくなったおかげで自分から積極的に声をかけることも出来ました。
最後にはメアド交換もしました。
そこから三人、四人、五人と仲間は増えていき、そんなに口数が多いわけではないけれど、みんなでランチに行ったり公園に遊びに行ったり、互いのお家にお邪魔したり、とても充実した時間を過ごすことが出来ました。
夫の転勤が決まったときは、絶望的な気持ちになりましたが、引っ越し先にわざわざ何時間もかけてみんなで遊びに来てくれたりと、本当に楽しかったです。
結果的に娘のための友達が、私にとってのかけがえのない友達となったというお話でした。
場面緘黙症で苦しんだのにまだ自分を責めるのか?
コミュニケーションでつまずくたびに、
「はあ~」
と重いため息を漏らし、自分を責める日々。
正直30代にもなって、まだ悩んだり苦しんだりする人生をやめられないなんて思ってもいなかったです。
このぶんだと40代、50代も危ういぞ…と一人戦々恐々としている私ですが、こないだ、長女が図書館から『ヘレン・ケラー』の伝記を借りてきたんです。
昔映画で見たことがあったんですけど、おぼろげにしか覚えていなかったので、娘に借りて読んでみました。
耳が聞こえない、目が見えない、言葉も喋れない。
そんな三重苦の世界から、サリバン先生によって救い出されたヘレン女史。
女史はのちに、サリバン先生が家に来た日を「わたしの魂の誕生日」と言うようになったそうです。
もう、久々に涙が出ました。
ヘレンに比べたら私の悩んでいることってなんてちっぽけなんだろう。
目も見える、耳も聞こえる、言葉だって喋れるのに…。
ヘレン女史の人生を知ったら、こうやって悩んでいる時間がもったいなく思えてきました。
なので、とにかく悩むことはやめて、流れに身を任せて生きていこうと思います。
マンガなのでどちらも読みやすいです↓↓↓
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