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さくらももこエッセイは疲れた心を癒やしてくれる。ストレスに押しつぶされそうなときにおすすめ

ももこエッセイ

『ちびまる子ちゃん』の原作者、さくらももこさんが乳がんでお亡くなりになられて1ヶ月が経ちました。

53歳という早すぎる死は、ファンのみならず多くの日本国民に衝撃を与えたことと思います。

私なんかは大ファンの部類に属するので、もう心にぽっかり穴が開いてしまったような状態。

学生時代や妊娠中の、精神状態が不安定だったときに癒やしを与えてくれたのはさくらももこさんのエッセイでした。

一人目育児でストレス貯まりまくりだったときに、ひとときの安らぎを与えてくれたのは漫画の『ちびまる子ちゃん』でした。

CSで昔の『ちびまる子ちゃん』を子供たちと見たのも、今ではいい思い出だなぁ。

(私たち親世代が子供の頃の『ちびまる子ちゃん』の方が、毒が強くて面白い!!)

今日はエッセイを中心に、特に心に残っている場面を振り返ってみたいと思います。
それでは参りましょ-!

メルヘン翁のインパクト

さくらももこエッセイで印象に残っているエピソードは結構あるのですが、『もものかんづめ』(1991)に収録されている「メルヘン翁」はインパクトが強すぎて、私の中では、

さくらももこエッセイ=メルヘン翁

というくらい強烈に記憶に焼き付けられています。

このメルヘン翁とはいったい何者?!

タイトルを見ただけでは想像もつきませんでしたが、老衰で亡くなったももこさんの実祖父の死に姿が、「メルヘン少女」っぽく見えたことからきていると知った時は、何とも言えない衝撃を受けました。

ももこさんは生前のお祖父さんを

ズルくてイジワルで怠け者で、嫁イビリはするし、母も私も姉も散々な目に遭った。

と書いています。

だからって「ジジィ」と言ったり死に顔を「メルヘン翁」と言ったり、ちょっと度が過ぎるんじゃ…?

アニメの優しい友蔵じいさん像が崩れてしまった寂しさも重なって、読み終えた後はちょっとしたモヤモヤが残りました。

しかし、最後に収録されている「その後の話」を読めば、不思議と心にかかったモヤモヤが晴れます(*´ω`*)

なるほどね~って納得させてくれるから凄いです(^^)

『そういうふうにできている』は妊婦さん必読!

妊娠中に読んで、とても勇気付けられたのが『そういうふうにできている』(1995)です。

出産の不安に押し潰されそうになると、何度も本棚から取り出して読み返しました。

子供を授かったことを知った瞬間が、私の中では、これまでの人生で一番の喜びでしたが、そんな幸福感に包まれていられるのは本当に一瞬のことなんですよね。

お腹の膨らみも分からず、本当にここに子供が入っているんだろうか?というくらいの時期から激しいつわりの症状が始まり、あまりの過酷さに精神状態はズタズタ。

「もういい!もうやめる!!」

という声にならない叫びを心にグッと押し込めて、30㎏代にまで落ちてしまった骨と皮だけの体を引きずって泣きそうになっていたとき、「そうだ…」と思い立って『そういうふうにできている』を読むと、不思議と気持ちが落ち着いていきました。

特に「悪阻」のこの部分が印象に残っています。

わずか二センチ程の生命体が子宮の中に現れただけで、こんなにも一人の大人の体調と精神に影響を及ぼすとは驚きである。
ホルモンのバランスが変わるせいだと言われているが、ホルモンというのは体内で分泌される量は物凄く少ないはずだ。私の疑わしい記憶によれば、確か長さ二十五メートル、幅十五メートル位のプールの水の中に、ホルモンのエキスを数滴垂らしただけで、そのプールの水全部が人体に影響を与える濃度になるという話を昔きいた気がする。

そういうふうにできているから、もうどうあがいたって仕方がないんだな。

なるほど人体のしくみを知ってしまえば、この苦しみももう少し冷静にやり過ごせそうな気がしてきた…。

こんなふうに、孤独な戦いを一人で繰り広げている妊婦の心のより所になってくれたのが、『そういうふうにできている』でした。

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『さくら日和』の「母の心配」

久しぶりに『さくら日和』(1999)を読んで複雑な心境になってしまいました。

「母の心配」という章なのですが、これはさくらももこさんのお母さんが、とにかく心配性だというお話。

孫の心配から始まり、最終的にはももこさん姉妹を「無駄遣いのしすぎだ」と説教しだすのですが、そのたとえとして出したのが「毒入りカレー事件の女」。

姉妹は自分たちと「毒入りカレー事件の女」が同じだと言われ、憤慨します。

しかしお母さんは一歩も引かず、最後には「あんたたちになんて老後の面倒をみてもらおうなんて思っちゃいないよっ。そう思って節約して貯金してるんだからねっ」と言って去って行きます。

これを読んだとき、何とも言えない感情に囚われてしまいました。

ももこさんは享年53歳でしたので、おそらくまだ御両親は存命のことと思います。

まさかこの時、自分たちよりも先に娘のほうが逝ってしまうなんて、想像もできなかったことでしょう。

心配性のお母さんは、ももこさんの闘病中も沢山心配をしていたのかな…。

ちょっぴり悲しくなってきますね。

思い込みと妄想の世界観がおもしろい

『ひとりずもう』(2005)は、主にももこさんの青春時代のことが書かれたエッセイです。

初潮のことや、異性を意識し出す話など、とても子供には読ませられない内容なので、本の虫の長女の目につかないように、我が家では本棚の奥にしまっています(^^;)

購入当初は、

「あぁ、この気持ちすごく分かる!」

と思う瞬間が多々あり、ももこさんとの共通点の多さに驚いたほどですが、

30代になって改めて読み返すと、単純に読み物として面白すぎて、声を出して笑ってしまいました。

思春期の男子生徒に対する思い込みと偏見がスゴい(笑)

ゴリラやオランウータンと一緒にするとは(;´∀`)

さすがです。

こんな文章を書ける人って、なかなかいないです。

だから多くの読者に愛され、読み継がれてきたのでしょうね。

子供たちが大人になったら、絶対読ませたい!(笑)

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さいごに

私は、小学生にして胃痛の苦しみを知っているようなメンタル弱めの子供でした。

しかし、「辛いことから逃げる」という思考がどういうわけか働かず(笑)、思い悩みながらもとりあえずその場に身を置くということを続けてきました。

そういう日々の積み重ねがある日限界に達し、心身に変調を来したとき、目の前に広がる風景が色を失い、すべてが灰色に見えるという経験をしました。

当時はこれが「絶望」というやつなんだな。

これが希望のない世界なんだな。

私は意図せずこんな所に足を踏み入れてしまったんだな。

もうこの先がなかったらどうすればいいんだろう…。

と、終わりのない思考に囚われて自分を見失いかけていました。

しかし、ここでも「人生をやめる」的な究極の選択には向かいませんでした。

ちょっとは頭を過ぎっても、それを自分が実行するとはとうてい思えなかったのです。

大好きだったミステリー小説も読めなくなり、代わりに手に取ったのがさくらももこさんのエッセイでした。

ももこさんのエッセイを読んでいるときだけは、心にガランと開いてしまった虚のようなものが少しだけ閉じていくような感覚がありました。

なんてことのない日常の一風景のはずなのに、どうして彼女の手にかかると、こんなふうに滑稽でキラキラ輝いていて、幸福そうな物語になるのだろう。

私の日常だって、それほど過酷なわけじゃないはず。

自分の世界の見方を変えれば、地獄のようなこの日々だって下手すりゃキラキラ輝き出すんじゃないだろうか。

そういうふうに考えられるひとときを与えてくれたのが、ももこさんのエッセイの数々でした。

チョーム

ものは考えよう。同じ人生なら、辛いことを滑稽に仕立て上げた方が絶対にいい。

私の灰色の世界は、診療内科から大量にもらって服用していた薬を断ったことで、次第に色を戻していきました。

心身の健康を取り戻しても、私はさくらももこエッセイを本棚の見えるところに置いて、背表紙の題名と絵を眺めるようにしていました。

そうすることで精神の安定を保っていたのだと思います。

度重なる引っ越しで何冊かは紛失してしまいましたが、我が家の本棚にはまだ当時のエッセイが残っており、これからもあり続けることでしょう。

さくらももこはいなくなってしまったけれど、彼女の残した作品はこれからも多くの人を楽しい気持ちにさせてくれ、疲れた心の癒やしになってくれるはずです。

新しい作品をもう見ることができないのは本当に残念。

この虚無感が晴れるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

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