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子供会ってどうしても入らないといけないの?

子供会

今の時期、巷では子供会(育成会)の新旧入れ替え会議が盛んだと思います。

私も先週行ってきました。

役員のクジを引いてしまったらどうしようかとハラハラドキドキでしたが、なんとかセーフ!

人生の運をすべてここで使い果たしていなければいいんですけど(^^;)

今日は、子供会って本当に子供のためになっているの?本当に必要なの?という内容で書いていきたいと思います。

子供会を楽しめない子供もいる

私は幼稚園から中学一年まで場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)でした。

場面緘黙症とは簡単に言うと、不安がとても強く、人前で話すことができなくなってしまう症状のことです。

本人は喋らないことを選択しているわけではなく、喋りたくても喋れないので、色々と誤解を招くことも多く、心身のバランスを崩してしまうことが多いです。

詳しくはコチラ↓↓
口下手な主婦って私だけ?場面緘黙症は続く…

そんな私の地区にも子供会はありました。

とても小さな集落なので、町内会の行事に子供育成目的のイベントを1つ2つ折り込んでいる感じのゆるい子供会です。

一番大きなイベントは、夏休みの親子旅行。

高速バスで2時間ほどかかるレジャー施設が主でした。

私は車酔いが激しく、ほかの子供たちが楽しそうに遊んでいるのを尻目に青白い顔で母親の近くに横たわっているのが恒例のパターン。

しかし一度だけ、堪えきれずにバスの中でリバースしてしまったことがあります(^^;)

あのときの母親の怒りようといったら…。

母:「すぐ酔うんだから、ちゃんと酔い止めの薬を飲みなさい」

私:「やだ」

母:「バスの中で吐いたりしたら大変なことになるんだからね」

私:「薬を飲むほうが気持ち悪い。飲んだらよけい気持ち悪くなって吐いちゃう」

…というやりとりのあとの大失態だったので、それはそれはもう…。

雷が落ちるどころの話ではありません(^^;)

毎年バスに揺られないと目的地にたどり着けないというのは、大きなストレスでした。

ようやく体調が落ち着くと、「あんたも早くみんなと遊んできなさい」と言われるのですが、そのみんながどこで遊んでいるのかも分からないし、上級生を意味もなく恐れていたので、上級生の気配を感じると体が強ばってしまっていました。

普段は仲良く遊んでいる近所の友達(地区で唯一話せる相手)も、

「○○ちゃんと遊ぶって約束したから遊べないの-」

とそそくさと行ってしまうし、唯一の拠り所であるはずのきょうだいも同級生と楽しそうにしていて、

「なんだ遊ぶ人いないの?じゃあここにいてもいいよ」的な横柄な態度でくるし、なんだか孤独すぎて涙が出てきそうでした。

けれど、私がもっと嫌だったのは大人たち。

町内会の派生的な子供会なので、母親だけではなく父親も参加するのが当たり前でした。

この男たちが昼間から飲むわ飲むわの宴会騒ぎ(苦笑)

まあ、子供だけじゃなく親にとっても息抜きの日ですから、お酒が入って楽しくなるのは良いのですが、明らかに親と子が楽しむというのとはかけ離れているんですよね。

母親たちも寄り集まれば、誰かの噂話や悪口三昧。

今の親からするとちょっと考えられないですが、子供は子供、大人は大人としっかり線引きがされた旅行でした。

子供会の集まりで親がいなくなる

子供会行事の計画を立てるために、夜に母親が集会所に行くことが何度もあったのですが、家の中に母親がいなくなる不安…。あれはいったいなんなんでしょうね(^^;)

父親は仕事や農作業で夜遅いことはいつものことだったので、別にいなくてもなんとも思わなかったのですが、普段いるはずの母親がいなくなるのは、たとえ短時間であっても耐えられないんです。

普段から両親共働きで、学校から帰ってくると家にいるのは祖母だけでした。

学校で喋れない反動なのか、私は家ではかなり落ち着きがなく、危ないことばかりして遊んでいました。

そのせいで毎回祖母にものすごく怒られるんです。

追いかけてこられて言い訳しながら逃げる、というのが日常茶飯事でした。

今に思えば、「子供夫婦の留守中に孫の世話を頼まれているのに、目を離したスキに大怪我を負わせたり命の危機にさらしたりしたら大変だ」という祖母の責任感だったのでしょうけれど、当時の私は、

「どうして私のやりたいことを邪魔するんだ!おばあちゃんはすぐ怒る!私は悪くないのに」

という思いしかありませんから、抑圧された感情が大きくなっていくばかりでした。

しかしそれが、母親が仕事から帰ってくると一瞬で消え去るんですよね。

二世帯同居で祖父が厳しい人だったので、母親は休む間もなく夕食の準備に取りかかります。

もう少し落ち着いてコミュニケーションが取りたいという思いはあるものの、母親がすぐ近くにいるというだけで、私は満足していました。

本当に、それだけで良かったのです。

なのに…。

変わらずそばにいるはずの母親が、集会があるからと言って夕方出て行ってしまうのです。

家には祖父母もきょうだいもいるけれど、心にぽっかり黒い穴が開いてしまったように私の孤独は深くなっていくばかりでした。

あの寂しさの感覚はいまだに忘れることができません。

「たった数日のことだよ、別に1人でお留守番ってわけじゃないんだから1、2時間我慢しなよ」

大人はこんな感じのことをついつい言ってしまいがちですが、約30年経った今でもこうして嫌な感覚として残っているんですから、子供にとっては「そういう問題じゃない」のかもしれません。

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子供会のトラウマ

私のような症状を持っている子供にとっては、学校以外での異年齢交流、しかもよく知らないよその親も一緒、という環境は苦痛そのものです。

毎回バス酔いという最難関をクリアしないといけないし、そのことで出発前から親に相当のプレッシャーをかけられているので(笑)、もう前日からストレスが半端ない。

一度体調を崩して親子旅行に参加出来ないことがありました。

風邪とかではなく、おそらくストレスからくる微熱だったのですが、両親は私を祖母に預けてきょうだいだけを連れて行く決断をしました。

私はたった1人取り残されるのが嫌で、本心は行きたくなかったのですが「私も行く!」と泣きすがりました。

しかし、母親は「無理をしちゃダメ。お母さんたちのベッドで寝てていいから」と断固として譲りませんでした。

微熱程度で元気だったのですが、私は両親のベッドに潜り込み、絶望と戦っていました。

 

「普通、私のことを置いていく?」

「本当は私がいつも具合悪くなるから、置いていける口実ができてラッキーだと思ってるんだ!」

「私が具合悪くても旅行に行くんだから、私のことなんて好きじゃないんだ」

「私のことを置いていけると知った瞬間、お母さんやさしくなったなぁ…」

 

もしかしたら、母親は私の存在を恥とでも思っているんじゃないだろうか?と感じることがこれまでの人生で多々ありました。

今思い返せば、頑固、わがまま、繊細、体が弱い、学校で全然喋らないと問題だらけの子供なので、母親とて少しは私から解放されたいという思いがあったのかな?…とも思えますが(^^;)

当時は極端な思考にばかり走って、自分で自分の首をしめていました。

子供会という特殊な組織上、当日一家族だけキャンセルということもなかなかできず、両親ももしかしたら苦肉の策だったのかもしれません。

当然と言ったら当然。

子供が具合が悪いからとキャンセルしたら、子供会に迷惑がかかる。

だからといって無理に連れて行ったらまたバスでゲロゲロされる。

そういう親の苦しみなんて、子供は知るよしもありませんからね(^^;)

1人で勝手な被害妄想に走って、長いこと親を誤解していました。

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子供会って誰のためのもの?

少しばかりタイトルと内容がちぐはぐになってしまいましたが、子供会はどうしても入らなければいけないのかと問われたら、

「それは子供の性格をちゃんと理解したうえで慎重に決めた方がいい」

というのが私の意見。

「子供会をやめたい」

と言うと、必ず「子供の貴重な体験の場を奪ってはいけない」という、言い訳出来ないような返しをしてくる人がいます。

これを言われてしまうと、親は何も言えなくなってしまうのです。

「体調が万全じゃない」「シングルマザーなので仕事が休めない」「子供に障害がある」「親の介護がある」「ワンオペなので手が回らない」

他人には分からない本当に深刻な悩みを抱えていても、

「どこの家もみんなそうだよ。みんな大変だし、そんな中でも頑張ってやっている。全てはお子さんの成長のため」

で一蹴され、子供の行事参加の権利を奪っていると錯覚させられて、やめるにもやめられず苦しむことになるのです。

しかし、元場面緘黙、引っ込み思案、人見知り代表として言わせていただきますと、

「行事を楽しむどころか、不安で体調を崩す子供もいる。なにごとも経験と言うが、それで成長する子もいれば逆にトラウマになる子もいる。すべてを一括りに考えるのは危険」

ってことです(o^^o)

ただでさえ学校で緊張状態にいる子供に、学校外でも緊張を強いる必要があるのか?と私は思うのですけれど、子供会は強制的な面が強く、なかなか一筋縄にはやめさせてもらえません。

これが日本社会のあり方だと思うと、なんだか寒々しい気持ちになってしまいますね。

あとは苦痛に耐えるか、割りきるか、なにかしら楽しみを見つけるか…。

 

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