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『ぼくは社会不安障害』という本を読んでみて思ったこと

ぼくは社会不安障害

伊藤やす著『ぼくは社会不安障害』という本を読んでみました。

恥ずかしながら、これまでの人生で社会不安障害という精神疾患があることを知りませんでした。

社会不安障害とは…

英語では”Social Anxiety Disorder”、略して「SAD」と呼ばれる精神疾患です。

「あがり症」や「対人恐怖症」に近い症状が現れることが特徴の、「不安障害」という精神疾患の一種です。

『ぼくは社会不安障害』伊藤やす著

ただ、症状はあがり症よりも深刻で、放置しておくと社会生活に支障が出るだけでなく、うつ病やアルコール依存症、長期にわたる引きこもりや、最悪の場合は自殺をも引き起こしかねないやっかいな病気のようです。

発症年齢や症状は人それぞれ

『僕は社会不安障害』の作者である伊藤やすさんが社会不安障害を発症したのは、小学生時代だそうです。

なんとなく社会人になってから職場でのストレスなどが起因となって発症する、というイメージがあったので、驚きでした。

いったいどんな原因があって発症したのだろう?と読み進めていくと、自分の小学校時代と共通する教育者の指導姿勢というものが見えてきて、なんだか切なくなってきてしまいました。

伊藤さんが社会不安障害を発症したのは、小学一年生のときに所属したサッカーチームでの厳しい指導にあったそうです。

区の大会で優勝するほどの強豪チームだったそうで、コーチの指導も「ひたすら根性論」、毎回怒鳴り散らされ、ストレスとプレッシャーも相当のものだったようです。

私も小学生の頃に全員強制の部活動でスポーツをしていましたが、担当教師の理不尽な指導に、子供ながらに違和感を覚え、深く傷付いた経験があります。

なので、「そうそう、あの時代の指導者ってだいたいそうだったよね」と共感しながら読み進めていったのですが、実際自分が女子ではなく男子児童だったら、もっと乱暴な扱いを受けて身も心もボロボロになっていたかもしれないと思うとちょっぴり怖くなりました。

男子生徒なんて平気で蹴り飛ばされていたし、至近距離で怒鳴られてかわいそうなくらい萎縮していましたからね。

それを見せられていた私たち他の児童だって、少なからず心に傷は負っていたはずです。

じゃなかったら、こんなふうにいつまでも鮮明に覚えているわけがない(^^;)

話は戻って…。

伊藤さんは三年生のときに、サッカーの練習中たびたび吐き気を催すようになりました。

そして、四年生になっての練習中の嘔吐をきっかけに、症状が急激に悪化していったそうです。

けれど、チームを辞めるにも「やめたい」とコーチに言うこと自体が恐怖で言い出すことも出来ない状況だったらしく、結局在籍だけして練習には参加しないという状態になったそうです。

伊藤さんは吐き気の症状が主だったようですが、人によって動悸やめまいが強かったり、腹痛やパニック発作が強く表れることもあるとのこと。

ただ、社会不安障害とは言っても、症状が軽くある程度のことなら出来るという人もいれば、不安を引き起こす全ての場面で症状が強く出てしまうという人もいるので、「甘えているだけ」という誤解を招いてしまうこともまた事実のようです。

発症要因はなに?

社会不安障害を患った多くの人が「自分の性格の問題」と思いがちで、実際に障害に気付かずにいる人もいるそうです。

社会不安障害を発症しやすい気質(神経質、完璧主義、内向的、心配性…)というものもあるそうですが、脳内の神経伝達物質のセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンの不足が原因で、神経機能がしっかりと働かずに起こるのではないかということも言われています。

そういう状態のところに長期的なストレスがかかったり、適切なケアが施されなかったりすることが発症を招く引き金になるということですね。

長期的なストレスというと、絶対的な父親の威厳に毎日萎縮して生活しているとか、家族が病気で、いつ失うかもしれない不安に日々苛まれているとか、両親のケンカを継続的に見せられているとか、社会人だと職場に威圧的な上司がいたり、同僚からなんとなく敬遠されていると感じたりなど、色々思い浮かびますが、たとえそういうことがあったとしても、息抜き出来る時間であったり退避出来る場所があり、「決して1人では悩まないでね」という雰囲気が家庭内でも職場内でもあれば、社会不安障害につながることを阻止することも出来るのかなって思います。

伊藤さんの場合は厳しいサッカークラブの練習がそうだったのですが、当時の教育論ではちょっとでも弱い部分を見せれば上から押さえつけられるような空気があったし、弱い者のレッテルをはられてしまったら、それを払拭するのもなかなか困難な状況だったと思います。

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精神科医療の問題点に納得

精神科医療の問題点

この本を読んでいて妙に納得してしまったのが、精神科医療への疑問。

伊藤さんは何カ所か精神科の門を叩いていますが、診断名がコロコロ変わったり、合わない薬を処方されてまったく効果が感じられなかったり、中にはまともに診察せず、病名も明らかにすることなく、改善しないと訴えれば別の薬を出したり、量を増やしたりという医師がいたそうです。

私も20代前半の頃に心療内科に通っていたことがありますが、担当医師は病名をこちらに伝えることなく、眠れないと言えば睡眠薬、胃がモヤモヤすると言えば胃薬、ネガティブな考えから逃れられないと言えば抗うつ薬を処方しました。

当時はこの薬さえ飲み続ければ自分はまた元の自分に戻れるんだ!と信じ、言われた通りに飲み続けていましたが、改善するどころか悪化していきました。

今思い返してみると、SSRIの副作用だったと思うのですが、あまりにも強烈すぎて、何度も自分を見失いそうになりました。

凶暴な思考を止められないっていうんですかね。

受動態でずっと生きてきた自分に別人格が乗り移り、脳を乗っ取られるような感覚でした。

薬をやめてしばらくしたら、以前の自分に徐々に戻っていきましたが、この出来事はトラウマとなり、「自分にはこういう一面があるから無理はしないで生きていこう」とかなり慎重になりました。

今改めて考えてみると、高い確率で自分に「こういう一面」はない(笑)と思います。

でも当時はかなり臆病になっていましたね…。薬の副作用だっただけなんですが。

伊藤さんはこう書いています。

専門家に任せれば大丈夫、医者なんだからどうにかしてくれるはず。そのような考えをお持ちだとしたら、実際に病院に行って、がっかりしてしまうかもしれません。私の経験から言うと、十分な経験を積んでいない精神科医が非常に増えているように感じます。

中には患者に真摯に向き合い、しっかりと今までの辛い出来事を聞いてくれる医師もいるかと思います。

しかし、私が前述の心療内科にかかるまえに一度だけ行ったことのある総合病院内の精神科医は、こちらには一切目もくれず「今日はどうして来たんですか?」と面倒くさそうな態度丸出しで尋ねてきて、私が辛い胸の内を喋りながら堪えきれずに涙を流すと、そこで初めてこちらを向いて対処に困ったようにオドオドし出すという有様でした。

あまりにもオドオドされて、逆に冷静になったことは今でも古い記憶の中にとどめてあります(笑)

なぜそのような事態が起きるのかというと、医師免許を取れば、誰でも精神科医になれるからだと思います。

(中略)

ここ数年でメンタルクリニックや診療内科の数は急激に増加しました。現代のストレス社会で、精神疾患で悩む方が増えていることの現れでしょう。医師の中には、これをビジネスチャンスだと思って開業する方もいます。開業医の方が融通がきくことや、歯科や内科などと比較すると、医療器具やレントゲンなどの機器が必要ないため開業資金が少なくて済むことや患者が多いことなどが理由にあげられるでしょう。

伊藤さんは、1つの医師だけではなく、セカンドオピニオン、サードオピニオンを受けて広く意見を聞くことをすすめています。

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私はどうなのか?

私が『ぼくは社会不安障害』を読んだのは、自分の緊張しやすい性格や、日常のささいな出来事1つ1つを深刻に捉えてしまう傾向をどうにかしたいという思いからでした。

この本は、社会不安障害当事者の伊藤やすさんの体験談が書かれた本なので、自分自身と照らし合わせて読み進めることが出来て、とても分かりやすい内容でした。

それらを踏まえた上で…。

私自身は今のところ、社会不安障害ではないという結論に達しました。

むしろ、心療内科通いをしていた学生時代の方が、社会不安障害の傾向があったように感じます。

しかしそれとて、薬の副作用が原因という線もありますので、ちゃんとした精神科医を見つけるということの重要性と難しさを感じずにはいられません。

最後に、この本の中で印象に残った言葉を抜粋してみたいと思います。

現代社会は、コミュニケーション能力の高い人や社交的な人が学校や職場でも評価されやすい傾向が強く、それを求められる仕事が大半を占めるようになりました。
高度経済成長期も、社会不安障害ではなくともあがり症や対人恐怖症の方はいました。当時は、事務仕事や工場作業などのそれぞれに合った仕事もありましたが、今はそのような仕事は非正規雇用が求人の大半で、正社員になることは難しいです。病気でなくても、そういう性格の人が低賃金の仕事にしか就けない状況になっています。

外からは分からない内面の病気だからこそ、誤解も多く、それによって傷付き、なおさら外部との接触が持てなくなってしまう。こういう悪循環をどこかで断ち切る手段を考えないことには、社会不安障害やうつ病などで苦しむ人々は、いつまで経っても暗闇から抜け出すことは出来ません。

じゃあどこを正していけば良いのだろう?と考えたときに浮かんでくるのは、やはり精神科医療の根本からの見直しだと思うんですよね。

薬を出すのは簡単です。

けれど、患者が求めているのって、実はもっともっと単純なことだったりしますよね。

自分の苦しみを分かってもらいたい。

苦しみの理由を教えてもらいたい。

今まで辛かったよね。なのによく頑張ってきたねという慰めの言葉をかけてほしい。

そういうことなんじゃないでしょうかね。

応援よろしくお願いします!!

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